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「ソクラテスの弁明」_3

今回は、「ソクラテスの弁明」の最終回ということで、「死」について、ソクラテスの考え方を見てみましょう。
それを踏まえた上で、少し話は逸れていってしまいますが、最後まで読んで頂けると幸いです。
それではいきましょう。


目次
  • 死よりも下劣を免れる方が難しい
  • まとめ

死よりも下劣を免れる方が難しい

裁判のばあいにしても戦争のばあいにしても、わたしにかぎらずほかの誰でも、死を免れるためには何でもやるというような工夫は、なすべきものではないからです。というのは、戦場においても、ただ死だけを免れるというのならば、武器を捨てて追い手の情けにすがればできるということが、いくたびも明らかにされているからです。そしてほかにも、危険のそれぞれに応じて、あえて何でもおこない、何でも言うとなれば、死を免れる工夫はたくさんあるのです。
いや、むずかしいのは、そういうことではないでしょう。諸君、死を免れるということではないでしょう。むしろ、下劣を免れるほうが、ずっとむずかしい。

本書の中でソクラテスは何度も、「死」は恐れるものではないと主張しています。死を経験したこともないのに、どうして恐れる必要があるのか。「死」を経験したことのある人など、この世の中にいないのだから、この世に流れる「死」についての情報はすべて架空のものでしかない。「死」は免れるべきであると考えている時点で、「無知の無知」であると述べられています。

ディスカッションなどにおいても僕は同じように感じます。
嫌われたくない、煙たがられたくないから、自分の意見を曲げるというのは簡単です。「自分もそういう意見でした」って嘘をつくことは簡単です。
しかし、そんなことをして何の意味があるのでしょうか。波風を立てることもなく、滞りなくディスカッションを行うことに意味があるのでしょうか。それなら、一番権力のある人が独断ですべてを決めればいい。
今までの人生で、自分の主張を押し出し続けて、誰かに本気で恨まれたことがあるでしょうか。チームから追い出されるような経験をしたことがあるでしょうか。ディスカッションにおいてもめ事を起こさない方がいいっていう人は、揉め事を起こしたことがない人です。「無知の無知」です。揉め事の中から新しいアイデアが生まれて、イノベーションが生まれる。

新入社員研修を通して、「自分の考え方が正解だと思ってはいけない。柔軟に考え方を変えていくことが大切だ。」と言い聞かされてきました。
しかし、僕は真っ向から反対します。自分の考え方を心の底から正しいと思い、愛着を持って可愛がってあげられていない人が、自分の意見を言うことなんてできないから。意見を言う時は、100%自分は正しいんだと自信を持っていないと簡単に論破される。自信を持つために、とことんまで自分の考え方をブラッシュアップするべきです。

思考というのは、紙に書いたり、言葉にすることで、どんどん磨かれていきます。それを続けて、とことんまで自分の意見と向き合っていれば、自信と愛着が湧いてくるものです。愛着が湧いてくれば、絶対に自分の意見を通したいと、真剣にディスカッションに向かうことができる。
しょうもないディスカッションのスキルを学ぶよりも先に、本気でテーマと向き合い、愛着の湧く意見を見つけることが大切なのです。

まとめ

後半は、完全に僕が新入社員研修で植え付けられた考え方に対する反骨になってしまいました。

大切なことは、人間として進むべき道を進むことです。意識していないと簡単に下劣な方法に手を染めてしまう。嘘をついたり、人をだましたり。
しかし、下劣なことに手を染めるというのは、皆が恐れる「死」と同然、いや、「死」よりも避けるべきものであると、ソクラテスは主張しています。

しかし、まずは、人として進むべき道を知るために、教養を蓄え、自分なりの道徳を、自分なりの哲学を築き上げていってください


あとがき

今回も最後まで読んで頂きありがとうございました。
本記事はあくまで830の主観を織り交ぜた上で、書籍の紹介をさせて頂いております。書籍との食い違いが生じてしまっている場合もございます。ご理解頂けますと幸いです。
正確な情報については、是非原本をご購入の上、お読み頂けますよう宜しくお願い致します。
今後も宜しくお願い致します。

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