2021年3月、クラウドファンディング「数学マップ」、114人の方々から334,500円をご支援頂き、人生マッププロジェクトスタート!

【ご報告】クラウドファンディングやります

学歴は人を評価する確かな指標ではない

ひとつのことに打ち込み、自分を律して努力してきた人は、人として評価できる。
だから、学歴によって、どれだけ努力してきたかを測ろうと考えるのかもしれない。

当然人一倍努力して東大に来た人もいるだろう。
しかし、東大の中には、小さな頃からの英才教育を通して勉強することが当たり前になっていて、ただただ敷かれたレールに乗っていれば東大に入学することが出来る人たちがたくさんいる。
たまたま生まれつき勉強が得意だったというだけで、東大に入っている人だってたくさんいる。
そんな中で、学歴が努力を評価する確かな指標だとは思えない

しかし一方で、こんな話も聞いた。
ある企業が学歴社会を無くすために、履歴書から学歴を削除するという手段を取ったのだという。
これは学歴社会を無くすための正しい手段だとは思わない。
学歴は確かに努力を評価する確かな指標ではない。
しかし、学歴が高い人の中には努力をしてきた人が一定数いるのは確かであって、学歴を評価しないというのはおかしな話だ。
勉強という分野の努力だけを無視して、課外活動の努力を評価するというのはフェアではない。

830が現代の社会において問題視しているのは、「努力を評価できるプラットフォームがない」というところだ。
就職活動を行うまでの約20年間、人それぞれ色んなところに興味を持って色んなことを頑張ってきたはずだ。
スポーツに打ち込んだ人もいれば、芸術を磨いた人もいる。たくさん課外活動に注力してきた人もいれば、たくさんの人とコミュニケーションを取るために頑張ってきた人もいる。毎日本気でゲームに取り組んだ人もいれば、毎日マンガを読み続けた人も、たくさん旅行した人も、いろんな料理を作ってきた人もいる。
どの努力だって勉強における努力と同等に評価されるべきだし、みんなが誇りを持つべきだ。
勉強を頑張った人は偉くて、ゲームを頑張った人は偉くないなんてことは当然ない。
勉強ができないというだけで劣等感を感じる必要なんてなくて、たくさんマンガを読んできたというだけで自信を持つべきだ。

しかし、現代社会はそうはなってはいない。
学歴社会の中では、勉強における努力だけ過大に評価されている。
それは決してあるべき姿じゃないし、変えていかないといけない。