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830の経歴_4(高校1年生)

今回も830の経歴という事で、
高校一年生を振り返っていきたいと思います。

高校一年生

めちゃくちゃハードな学校だったんで、
毎日8:30~18:00まで授業があって、
さらに自習で20:00くらいまで残ったりすることもあって、
今思えばかなり大変でしたね。

その中で高校一年生の時は、
めちゃくちゃ真面目に生活してみようかなって生活してました。

宿題は全部しっかり出しましたし、
毎日の英単語などの小テストもしっかり勉強して臨みました。

それまでは勝手に、
「そんなの意味ないでしょ」
とか考えていましたけど、
しっかり取り組んでから考えてみようと思いました。

その時くらいから、
真面目にやってることがかっこいい
とか思うようになってた気もします。

それまでは、
「勉強してるとか、ダサいからあまり見せないようにしよう」
って思ってましたけど、
めちゃくちゃ勉強してる所見せて、
「なんかいい雰囲気になったらいいなぁ」
とか思ったりして。

ルール守るとかダサい
みたいな中二病みたいな考え方卒業して、
ちょっとずつ大人になった気がします笑。

怒られることもほとんどなくなりました。

意識的に真面目に生きてたんで当然ですけど笑。

成績とかは特別いいわけではなかったですけど、
常に”上の下”か”上の中”くらいでしたね。

830って、
どんな集団に入っても、
どういうことしてても、
大体”中の上”か”上の下”くらいのポジションになっちゃうんですよね。

それが良いのか悪いのかっていうと微妙ですけど、
凄い器用貧乏だなと感じます。

もっと何かに飛びぬけた才能があったりしたら、
考え方とか、生き方変わってたかもしれないなと思います。

勉強とは別に、
毎週日曜日は地元の少年野球チームのお手伝いとして、
野球をしていました。

意識的にやっていたわけではありませんが、
非常にいい息抜きになっていたのかもしれません。

勉強ばっかりだと精神的にも大変だと思うんで、
やっぱり運動をする環境があってよかったなと思います。

自分でプレーするわけではないですけど、
めちゃくちゃ楽しかったな笑。

考察

しっかり選択をする

思い出すと、
まだまだ友達に流される未熟さを感じますね。

当然、遊びに行くのが悪いとかいうわけじゃなくて、
全然自分で選択してなくて、
周りの雰囲気にのまれまくっていたなと感じます。

本当に遊びに行くのが最善の選択なのか、
何のために遊びに行くのか、
しっかり考えて選択していかないといけなかったなと思います。

今の自分への戒めも込めて。

会社に入れば呑み会とかも多くなると思いますが、
しっかりと考えた上で選択していかないといけないと思います。

これも同じで、
「職場で呑みに行くとか時間の無駄や」とか、
「職場で呑みに行くとか気い使うだけやん」とか、
「呑みは友達と行く方が楽しいでしょ」とか、
そういう事を言っている訳ではなくて、
呑みに行くのか、家に帰るのか、本を読むのか、勉強するのか、
無限にある選択肢の中から、
しっかり自分で選択しないといけないという事です。

仕事をする中で、
仲がいいっていうのはとてもメリットだと思いますし、
そのために呑みに行くというのは必要な事だと思います。

830も呑み会を通して親睦が深まるというのは賛成です。

そういった呑みのメリットもしっかり踏まえた上で、
今の自分はどうするべきなのかを考えていくことが大切だと思います。

逆に、自分が誘う側になった時に、
そういう選択をしっかり尊重してあげられるような人間でないといけないと思います。

誘いを断るというのはとても勇気がいる事ですし、
そうしてまでやらなければいけないことがその人にはあるわけで、
「あいつノリ悪い」とか、
「おもんないわー」とか、
すぐにその人をディスるのではなくて、
むしろその人の勇気を称賛してあげられるくらいの、
心の余裕をもっていたいなと思います。

呑みを誰かに断られると、
「呑みに行く自分が否定されている」と、
「呑みに行くことで自分は時間を無駄にしていると言われているのではないか」と、
思うのかもしれませんが、
選択肢のプライオリティは人それぞれですし、
断った人の中で呑みのプライオリティが低いかったというだけで、
その人は呑み自体を否定している訳ではない、
という認識が多くの人に欠けていると思います。

みんながそういう理解を持てれば、
みんなにとって最善の選択を選びやすい環境になっていくのではないでしょうか。

というよりも、
そうやってディスる人は自分で選択していないんじゃないでしょうか。

自分の中で、明確な理由や目的意識があって、
呑みに行くのであれば、
周りの人が来ても来なくても問題ではないという事です。

周りの人が、
「そうですね。呑みましょう。」
って賛同してくれないと安心できないのは、
明確な目的意識がないからなのではないでしょうか。

真面目に生きる

830の経歴_2(中学生)でもお話しさせてもらいましたが、
自分の周りに対する影響力を感じ始めたのはこのころからでした。

いい例ではありませんが、
友達とけんかして、
「あいつ無視しようぜ」
と830がいうと、
クラス中がその子を無視して、
完全にいじめ状態になる事がありました。

一年か二年くらいして仲直りして、
今でもたまに連絡を取ったりすることもありますが、
とても申し訳ないと思うとともに、
とても勉強させてもらったと今では感謝しています。

そういった経験の中で、
先生が言っていたみたいに、
本当に影響力があるのかもしれないと思いました。

そして、今まで言われてきたように、
それを良く使うのか、悪く使うのか、
それは自分次第だなとも意識するようになりました。

そういったこともあって、
宿題は全部しっかり出すとか、
小テストはしっかり勉強していくとか、
めちゃくちゃ勉強しているところを見せるとか、
当たり前のことではありますけど、
しっかりと自分で選択して行動できていたと思います。

それによって周りの雰囲気が良くなったかどうかは分かりませんが、
少なくとも、
自分が勉強する事に意味を見い出していたように感じます。

いい大学に行くためとか、
勉強はやらないといけないからとか、
そういった漠然としたモチベーションではなくて、
周りを引っ張っていくために勉強するとか、
みんなが勉強しやすい雰囲気を作るために勉強するとか、
みたいな。

だからこそ自発的に、
楽しみながら勉強できたように感じます。

勉強するのが嫌
っていう人は多くいると思いますが、
勉強するという行為自体を目的にするのではなくて、
何のために勉強するのか、
それを実現するために本当に勉強が最適な手段なのか、
しっかり考えていけばいいんじゃないかなと思います。

なんとなく勉強するんじゃなくて、
やりたいことがあって、
そのために勉強をするのであれば、
勉強もやりたい事の一つになっていくんじゃないでしょうか。

どうやってやりたい事と勉強を繋げていくのか、
そういったこじつけ力は必要かもしれませんが、
実際どんな目的に対しても、
勉強が最適な手段であるとこじつける事はできると思います。

そうやって自分を納得させる能力って、
生きてく上でとても重要になってくるのではないでしょうか。

まとめ

高校生くらいから、
少しずつではありますが、
自分なりの選択をできてきたように思います。

やっと自我を確立してきたと言いますか笑。

しっかりと考えた上で、
自分なりの理論の下で選択をしていく
というのはとても大切なので、
これからもしっかり意識して生きていきたいと思います。

最近思いますが、
やっぱり運動して汗かかないと、
精神的にも疲れてきて、
病んでいってしまうと思います。

830は週2,3くらいでジムに行くようにしていますが、
やっぱり大切だなと思います。

ちなみに、
今年の目標はベンプレ100kgです。

やっと90kg上げれるようになってきた泣。