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一億総懺悔

一億総懺悔

戦後、東久邇宮首相は、「この際私は軍官民、国民全体が徹底的に反省し懺悔しなければならぬと思う。全国民総懺悔することがわが国再建の第一歩であり、わが国内団結の第一歩と信ずる」というような発言をしました。敗戦の責任に対するいわゆる「一億総懺悔」と呼ばれるものです。
「命令した側」と「命令を受けた側」をごちゃ混ぜにした、あきれるほどの暴論です。どんな集団にも、リーダーと部下がいて、責任を取るのは、「その指示を出したリーダー」です。その指示に従った部下まで責任を取るのなら、「責任」というものは実質的には無意味になります。

この一節を読んで、まず初めに浮かんできたのは「アイヒマン」のお話です。アイヒマンとは、ヒトラーの部下として、ユダヤ人の大量殺戮を実行した人物です。アイヒマンはヒトラーから命令を受けて、ユダヤ人の殺害を実行しました。ここでアイヒマンには全く非がなかったのでしょうか。すべては命令をくだしたヒトラーの問題なのでしょうか。

当然ヒトラーに非があることは確かです。しかし、だからと言ってアイヒマンに非がなかったとは言えません。アイヒマンは断ることもできたし、ヒトラーに物申すこともできたはずです。にも関わらず、そういった反論をせずに大量殺戮を実行したというのであれば、アイヒマンにも非があると言わざるを得ないでしょう。

問題が起きた時に、「命令した側」「命令された側」どちらか一方に非があるということは決してないと思います。多寡があるにせよ、必ずどちらにも改善の余地があるはずです。
軍部は特攻の成果を正しく把握し、特攻の効果が薄いということを真摯に受け止め、方針転換する必要があったでしょう。しかし、特攻の成果を正しく評価できなかった一つの要因に、国民の在り方があったと語られています。特攻隊の記事は鮮やかに脚色され、その日の新聞はたくさん売れたそうです。だからこそ、特攻はどんどん推し進められ、過大評価の成果報告が繰り返されたのです。売り上げのために過剰な表現を行った新聞社、それに踊らされる国民、全ての人に少なからず非があったのではないでしょうか。

マスメディアによって踊らされる国民。それによって犠牲になったたくさんの特攻兵。非常に考えさせられる部分だと思います。
ぜひ本書を手に取って考えてみて頂けると幸いです。

まとめ

歴史には疎い830ですが、非常に考えさせられた興味深い一冊でした。
第二次世界大戦下にあって、アイヒマンがヒトラーに物申すというのは、非常に難しいことだったと思います。異論を唱えれば殺されるかもしれなかったでしょう。
しかし、現代は違います。上司に歯向かったところで殺されるなんてことはありません。だからこそ、現代において命令される側の責任が大きくなってきているのです。いつも上司が責任を取ってくれるわけではありません。自分の選択には自分が責任を持たないといけない。一人一人がその自覚を持ち、一つ一つの選択を正しくに対して責任をもって行動していければいいのではないでしょう。


あとがき

今回も最後まで読んで頂きありがとうございました。
本記事はあくまで830の主観を織り交ぜた上で、書籍の紹介をさせて頂いております。書籍との食い違いが生じてしまっている場合もございます。ご理解頂けますと幸いです。
正確な情報については、是非原本をご購入の上、お読み頂けますよう宜しくお願い致します。
今後も宜しくお願い致します。